◆念願の志望高校入学◆
高校入学!!学年は浪人しているので一つ下の学年の子達と一緒のクラス、親友、同級生は、一つ上のクラスに沢山いる。だから、ほとんど知らないが、1人だけ中学から俺の事を知ってくれてる女の子がいた。
その子とは、今でも連絡を取る仲間!!そして、入学当初○○○吸って、香水つけて(ウルトラマリンorスカルプチュア)なつかし〜〜!!携帯持って、彼女を作ってて、無断バイト!!
当初から、今では普通なんだろうけどあの時は、本当にクソガキ、マセガキやったんだと思うww
恋愛については中学生からバイトで知り合った2つ上の先輩とのファースト・ラブは3ヶ月で終わった。振られた朝、おかんが彼女の家近くに迎えに来てくれて車の中で涙した。その時車から流れてき曲が
宇多田ひかるの「ファーストラブ」だった。今でも記憶に残っている。
それから、時が経ち高1の冬に今でも付き合った日数が一番長い彼女ができる。 インテリアの専門学校を目指そうと思ってのもこの彼女の父の影響だし、今花屋にいるのもそこが原点な気がする。別れたときは、すごくキツかったけど、その辛さがあったからこそ今の幸せがあるのだと思う。
高校生活はとても楽しかったし、ばかな事、喧嘩、色々な事を経験した3年間やった。
そして高校の卒業式の半年前ぐらいだったかな・・・? 音楽の先生が俺に最後の行進の時の音楽は、何がいい??って言われたから、
ビートルズの『レット・イット・ビー』が良いと伝えた。
すると、最後の行進で吹奏楽が『レット・イット・ビー』を演奏し始めた
さすがに涙を堪えられなかった。
今、思えば凄くいい思い出だし、先生にはとても感謝しております。
何処かで、いつか会えるのであれば、その真相について語りたい。。
◆人生初大阪一人暮らし◆
高校卒業後、大阪に行くことを決意。彼女は地元の短大に進学、自分はインテリア専門学校に入学し、大阪でバイトしながら、
そこで出会った先輩にまた色々な事を教えてもらい経験し、彼女ともかろうじて付き合いながら、大阪人情を肌で味わい、大阪に彼女と住む計画だったが、専門学校卒業して地元に戻る事になる。
◆今後の人生について大きく変わった出来事◆
地元に帰ってきて、インテリアの仕事を探すが田舎なもんで、数えるくらいしかない・・・
母親の同級生で看板デザインの社長さんがいて、そこに見習いで就職する事になる。見習いなので給料は少ない、高校から付き合っている彼女と実家に一緒に暮らしているがギリギリの状態
彼女も保育士として仕事をしていたのだが、彼女がお金を稼ぐ為に彼女のお母さんのお姉さんのスナックで働く事になる。
今思えば、それで良かったのだが、あの時の苦しさは二度と経験したくはないと今でも思う!!
彼女は、僕と別れたを告げた後そのお店で出会った県の職員の男と付き合い1年後に結婚した。今じゃ、子供3人いるらしい!!と小耳にした。これからも幸せな家庭を築いていって欲しいと願う。
今、思うとその出来事が自分を少し変化させたのかもしれない。。。
今でも記憶の奥にあるのは、必ずお金持ちになり県職員よりも収入を稼ぐという事を誓った自分がいた気がする。。。 本当にキツかった、6年あれだけ尽くしてくれた彼女を失うという現実が受け入れることができず2、3年引きずったと思う。
そんな時に、お金持ちになるにはと考えていた時、友達から情報が飛んできた。それが「ネットワーク系」というもの、初めは怪しいもの調べに調べてこれだったら早く金持ちになるのではないかと思い、
22歳から24歳まで花屋というバイトをしながら、真剣に取り組む事になり、少しはお金を持った。彼女も妹の友達と付き合い、車のベンツSクラスに乗り、収入も50万は軽く超えていた。こんな生活が2年続き若気の至りだろうか、天狗になりすぎて一気に地獄に突き落とされる。
自分は、これがずっと続くと思ってたのが若いなと今、振り返って見ると思う。しかしそこから色々な事を学ばしてもらってそれが今いい経験として体に刻み込まれている!!
人の大切さ、お金の凄さ、人に対する思い、やりがい、楽しさ色々な事を学んだ。
そして今度は、それを踏まえてどん底からカムバックする為に
再スタートすると心に誓った。。
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